記録4 ギリシア中部(デルフィ遺跡・メテオラからイグメニッツィアへ)

【旅のルート】
空路クレタのイラクリオンからアテネへ。アテネからバスでデルフィ。デルフィで2泊し、バスでカランバカ。カランバカに一泊し、世界遺産メテオラでトレッキング。その後バスで港町・イグメニッツィアを目指し大移動、船に乗船してイタリアのバーリへ。

 

アテネの空港からバスで、リウシオンバスターミナルへ向かった。
リウシオンはカランバカ・デルフィ方面へのバスが出ている、市内にある二つの長距離バスターミナルの一つだ。アテネからは直接バスが出ており、アクセスは良かった。

ところが、リウシオンからデルフィへのバスは2時間後だという。仕方がないので、バス停でコンピュータを取り出し、せっせと記録を書いたりして過ごす。こうやっていると時間はあっという間に過ぎてしまうのだから不思議だ。

デルフィへのバスは定刻通り13:00に出発し、途中パルナッソス山が美しく見えるホテルで休憩を取りながら、3時間かけてデルフィに到着した。

デルフィのバス停で降ろされたものの、どこへ行くか全く目的は決まっていなかった。まずは宿探しが先決だが、ここがどこなのかもよく分からない。いつもならもうちょっと真剣に状況を把握しているだろうけど、あんまりデルフィの町がかわいくてきれいなので、このまま適当に歩いて宿を探しても良いなと思った。疲れもふっとぶくらいの、ステキな町だったのだ。

重たいバックパックを担ぎ直し歩き始めると、「日本人ですか?」と上から声をかけられた。「はい?」と見上げると、日本人の女性が窓から手を振っている。「ここいいですよ、シングルユース・シャワー付きで20ユーロ!」と言ってくれた。さっそく宿のおじさんに値段を聞いてみると、シャワー・トイレ共同なら15ユーロだという。部屋はこざっぱりとしていて、窓からの風景が最高。左手から前方にかけて深い谷が広がり、右手にはコリンティアコス湾が見える。

今まで悲惨な宿ばかりだったので、なんだか天国に来たような気分だった。声をかけてくれた日本人女性に感謝!!だ。宿探しをしなくても良い宿にめぐりあえたのだから。彼女は大のギリシア好きで、3ヶ月間ギリシアに滞在予定だという。イタリアやフランス好きなら多くいるが、ギリシアが好きで3ヶ月とは本当にめずらしい。夜は一緒に食事をしましょうと決め、いったん別れた。

デルフィでは一泊を予定していたのだが、二泊することに決めた。遺跡に一日取っておくことにしても、もう一日、ただ散歩するだけでも充分楽しいと思ったからだ。

デルフィの町は、ギリシア中部地方独特だという赤い瓦屋根が印象的なかわいらしい家々が軒を連ねる。目的もなく散歩するだけでも楽しいが、ここの町からの眺めは最高だ。万年雪が白く光る、きりりとしたパルナッソス連邦、そこから続く深い谷、向こうには海が広がる・・・。なんと贅沢な場所なのだろう!ちょっとした山岳リゾートだ。空気も清浄で、落ち着ける。都会が嫌いな私にはぴったりの場所だった。

夕食は近くのタベルナで取った。ほとんどまともなギリシア料理を食べていなかった私に、彼女がいろいろと注文してくれた。「ムサカ」はポテト、ナス、ミートソースを重ねて焼いたモノ。ギリシア料理を代表する一品だ。おいしい〜。一人旅だと、料理を楽しむことが出来ないのが悲しいところ。久々の日本語の会話を楽しみ、大満足のディナーとなった。

翌日はデルフィの遺跡へ、早朝にでかけた。デルフィ遺跡は町から歩いて10分ほどのところにある。

早朝の遺跡は、空気がピリリとして何だか神々しい。
遺跡の周囲には美しい花々が咲き、春の訪れを喜ぶみちばちと鳥の声に、クレタやロドスでは味わえなかったすがすがしさを味わい、その地に立っているだけでも感動がこみあげてきた。

古代ギリシアでは、世界は円盤状のものであると信じられ、デルフィは「世界のへそ」、この世の中心であると考えられていた。紀元前6世紀頃からデルフィでの信仰が始まり、ギリシアだけでなく周辺にあった都市国家からも多くの人々が参拝に来て、大いにこの地は潤ったのだという。

この神聖な雰囲気を語るのは非常に難しい。

あんまり好みの遺跡なのでうまく言葉に出来ないけど、私が訪れた数多くの遺跡の中でもイチオシ。アテネからの日帰りツアーが主流だが、このすばらしい雰囲気を楽しむためにも、ぜひ一泊はして欲しい。おいしいタベルナもたくさんあるし、ステキなペンション風の宿もたくさんあるので、楽しめること間違いなしだ。

遺跡見学の合間に、藤棚の美しいカフェで絞りたてのオレンジジュースを飲んだりして、心底リフレッシュした。ロドスやクレタの地中海風な空気もいいが、まるでアルプスを彷彿とさせるような山岳地帯の空気も最高だ。

美しい景色が楽しめる、谷に張り出したカフェへパソコンを持ち込み、今日のアップデートをするべく仕事に励む。今まで薄暗いベットで作業をしていたので、天と地の差だ。その後、ネットカフェへ行き、サイトのアップ。日本語のインストゥールをさせてくれたので、非常にありがたかった。ヨーロッパは結構セキュリティーが厳しく、インストゥールはおろか、フロッピーを使うこともお断りと言われることがよくあるのだ。

翌日は、大好きなデルフィの町を後にして、世界遺産・メテオラ観光の拠点となる、カランバカへ向かった。

事前の情報によると、デルフィからラミアの町までバスで出て(日に2本!!)、そこからトリカラまで移動(2時間に一本!)、さらに奇岩で知られるメテオラの麓の町、カランバカまでバス(1時間に一本!)・・・。6時間にも及ぶ大移動だ。果たしてバスに迷わず乗れるのか・・・、考えただけでも気が滅入る。

10:20デルフィ発のバスの乗ろうと待っていると、やってきたのは私の部屋の隣に宿泊していたアメリカ人のジェニファーとクリスだった。二人ともかれこれ旅を始めて2年(ヨーロッパの旅人には年単位が多い・・・)になるそうで、ジェニファーは3年ほど英語教師として宮崎に住んでいたのだそう。二人もカランバカへ行くとのこと。やった!!旅の仲間が増えた。仲間がいると何かと心強い。トイレに行くときにちょっと荷物を見てもらったり、情報交換をしたり、何かと相談できるからだ。

バスは少々遅れてやってきた。デルフィからラミアまでの道は山を登ったり降りたりで、なかなか楽しいモノだった。問題のラミアに到着すると、バスを待っていた欧米人の女の子が「トリカラへ行くの?もうあと数分で来るから、切符を買っておいで!」と親切にも教えてくれた。ラッキー!ついている。すぐに窓口へ走り、チケットを手に入れた。バスはすぐにやってきたが、何と既に満席。トリカラまであと2時間、立たねばならなかったが、それでもデルフィでの2泊が私をかなり元気にさせてくれていたので、何のことはなかった。バスには日本人の女の子3人が乗っていた。聞くと、10日間の予定でギリシアを旅行しているということだった。

トリカラで降ろされた私たちは、再びチケットを買って、今度はカランバカ行きのバスに乗った。これもすぐに接続していた。本当にラッキーだ。アテネからデルフィへのバスはバス停で2時間も待ったので、そのことを考えるとありがたかった。

カランバカに無事到着したのは、まだ日も明るい15:30。ホテルはデルフィで宿泊していた宿のおじさんが紹介してくれた所にしようと、ジェニファーとクリス、私の3人で宿探しに向かった。ところが閉まっている!!もう二件、カランバカの駅周辺にホテルがあったので行ってみたが、どれも閉まっていた。まだ観光シーズンではないのだ。まずい・・・、とうろうろしていると、客引きのおじさんが現れた。荷物も重いので私はおじさんの所へ宿泊すると二人に告げた。シングルで15ユーロならまぁ、妥当な値段だからだ。しかし二人でも一人15ユーロずつもらうという。「私たちは2人20ユーロの所を探すわ」、とジェニファーたちは去っていった。さぁおじさん、連れて行って頂戴な、と振り返ると、おじさんは先ほど一緒に降りた日本人の女の子3人の客引きに夢中。待っているのも面倒なのと、おじさんの商売っ気に嫌気がさし、一人で探すことにした。

ところが、安そうなところは全て閉まっていた(涙)。観光シーズンではないのだ。美しい奇岩がどこからでも臨めるこのカランバカの町を、宿泊する場所を求めて何と1時間以上さまよった。正直言って、もう一歩も歩けない・・・、というところでようやく「ROOMS」という看板を発見。ノーチョイス、そこを借りることにした。

明日はメテオラをトレッキングして、その後イタリアへのフェリーに乗るためにイグメニッツィアという港町へ行かねばならないのに、肉体の疲労は限界に達していた。せっかくデルフィで心底リフレッシュしたのに・・・。その日は疲れ切って寝てしまった。

翌日は8:20カランバカ発のバスに乗って、修道院群の一番上にある、メガロ・メテオロン修道院に向かった。バスで乗り合わせたのは昨日もラミアからのバスで一緒だった、日本人の女の子3人と同じく日本人の男の子1人。というか、このバス、観光客は日本人だけだった・・・。

世界遺産に登録されているこのメテオラの修道院群は、ギリシアの中央を貫くピンドス山脈の東麓に位置する、巨大な岩の上に立てられている。その空中にぽっかりと浮かんでいるかのような姿に、まるで神様の国に迷い込んだかのような錯覚を覚える。12世紀くらいからこの地の岩陰などに隠者が住み始めたそうで、14世紀になってからあいついで修道院が建てられたのだという。この聖なる地では、今もなお、敬虔な修道士たちが暮らしている。今世紀始めまでは縄ばしごしかなかったと言うから驚きだ。

これまたスバラシイ遺跡且つ有名な遺跡なので、ここでは敢えて下手な感想を述べるのはやめにする。

こぢんまりとしたヴァルラーム修道院では、修道士が賛美歌を歌っていた。どうしてこう、人々が神に捧げる祈りの歌とは美しいのだろう。その素朴な歌声と、複雑な音階のメロディーの前に、私も頭をたれた。私はクリスチャンではないが、彼らの信仰への敬虔な気持ちが、私にそうさせたのだった。ギリシア唯一の土産として、修道士の歌声が入ったCDを購入した。

カランバカの町からメテオラの頂上にあるメガロ・メテオロン修道院までは日にたった2本のバス。頂上から半日をかけてトレッキングしながらいくつかの修道院を回ろうというのは、私たち日本人以外にはおらず、他の観光客は大きなバスでやってきていた。フランス人も多いのだが、日本人の観光客も多い。汗だくになって坂を上っていると、JTBのバスからみなさんが手を振ってくれた。

今回のトレッキングで一緒になったのは先日バスで一緒になった日本人の女の子3人組。職業はなんと成田の税関職員!!いつもお世話になってマースと、CIQ(税関、入管、検疫の略)話に花を咲かせる。私は船上でCIQ担当者だったので、世界中の港の官憲と仕事をしていたのだ。「こんなもの持ち込むお客さん、いるよね〜」とかなりマニアックな話が出来て楽しかった。トレッキングは約半日、6時間に及んだが、最後の修道院・アギオス・ステファノス修道院へは行けなかった。今晩出航のイタリア行きのフェリーに乗りたかった私は、何としても15:20発のイオアニア行きのバスに乗りたかったから。

カランバカの町へのトレッキングコースがある、アギア・トリアダ修道院で3人と分かれてから、一人黙々と下山した。身体は疲れていたが、昨日の精神的なショックも3人とのおしゃべりと、すばらしい風景に心癒され、すっかり足取りは軽かった。

5時間に及ぶデルフィからの大移動、それから1時間以上もバックパックを担いでホテルを探し回ったのが昨日。続いて、23日は早朝からメテオラでのトレッキングで歩き回ること半日。メテオラから下山し支度を整えてイオアニア行きのバスに乗ったのは、15:30を回っていた。

バス乗り場のお姉さんの話によると、イオアニアまでは3時間、そこでバスを乗り換えてイグメニッツィアに向かうのだという。イオアニアからのバスは19:45に出発し、2時間でイタリアへの船の玄関口・イグメニッツィアに到着するとのことだった。ところが、船の出航は23:59。チェックインはその2時間前、つまり22:00。それまでにチケットを手に入れねばならない。バスが遅れるのはしょっちゅうあることで、つまり、今晩中のイタリア行きは不可能に思われた。ここで遅れるのはやむを得ないけど、イグメニッツィアでの一泊は面倒だ。できれば今晩のフェリーに乗りたかった。

あれこれ悩んでも仕方ないので、できるだけ体力を回復しようと熟睡。ふと目覚めると、一面が雪景色でびっくりした。さきほどメテオラから遙か遠くに見えたピンドス山脈を横断しているのだ!美しい風景に、疲れていた心が和んだ。途中、メツォヴォという、ピンドス山脈の合間に位置する小さな町を通過した。まるでアルプスの山間にあるような、かわいらしい町で、見ているだけですっかり私は元気を取り戻した。疲れるバスの旅だが、身体も心も、その風景で癒してくれることがあるのだ。内陸部の知識が全くなかったが、ギリシアの本当の魅力は内陸部にあるのではないかと思ってしまった。万年雪をかぶる2000m級の山々、新緑が美しく、花の咲き乱れる高原地帯。どれを取っても絵になる。このルート、本当にスバラシイのでぜひみなさんにもお勧めしたい。

イオアニアには定刻につき、19:45発のイグメニッツィア行きに乗り換えた。遅い時間にイグメニッツィア入りするのはいやだったが、バスはこれしかないのだ。仕方がない。イグメニッツィアの港が見えてくると、窓の外を見て、めぼしいホテルと旅行社を探した。何と旅行社はまだ開いていた。私のようにかけこみでやってくるおバカな旅行者にフェリーチケットを売るためだ。

バスの到着は21:40。あと20分でチェックインせねばならない。バス停の目の前に旅行会社があったので、そこに飛び込んでチケットを下さいと言い、ユーレイルパスを見せた。私のパスはギリシアとイタリアで有効のモノで、フェリーにも乗船できるのだ。ところがカウンターの女性は首を振り、「新港の中央オフィスでしか扱ってない」という。さらに気の毒そうに大荷物を担いだ私を見、「ここから1キロはあるけど・・・。22:00で閉まっちゃうけど・・・」という。

すでに15分を切っていた。諦めきれず、見えもしない新港に向かって走る私。しかし300mもいったところで力つきた。ダメだ・・・、疲れが相当たまっている。深く深呼吸し、現在の状況を冷静に判断した。「絶対間に合わない。間に合わせるには車で行くしかない。」

そう、タクシーだ!ところが、タクシーはやってこない。誰か私を新港まで連れて行ってと手を挙げると、一台の車がストップしてくれた。彼は港湾で働く職員で、あせっている私に、「大丈夫、落ち着いて。カウンターまで連れて行ってあげるから」といい、私を送ってくれた。うぅ、本当にありがとう。彼に「ギリシアは好きか」と聞かれ、もちろん大好きよ、と答えた。

親切なギリシア人のおかげで無事にBlue Star社のフェリーに乗船。ベッドを取ろうと思ったら、一泊50ユーロもすると言われて諦めた。今晩は我慢して、明日ステキなホテルに泊まろう。身体は限界、足腰が痛い。とてもイスに座って寝てられないので、床に横になった。寒さが足下からやってきて、寝袋が欲しくなる。ついに寝床が床になったよ・・・、嫁の貰い手がなくなるわけだ・・・、とひとりごちて、浅い眠りについた。

怒濤の一日だったが、何とか周囲の助けを得てイタリアへ向けて出発した。


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