記録5 南イタリア(バーリからアルベロベッロ、マテーラ、そしてシチリアへ)

【旅のルート】

ギリシアの港・イグメニッツァからイタリアの港・バーリへフェリーで入国。バーリを拠点に南イタリア観光の目玉・アルベロベッロとマテーラを訪れる。バーリから夜行列車でシチリア島へ。

 

ギリシアのイグメニッツァを深夜に出航したフェリーが、南イタリアの玄関口バーリへ到着したのは朝の8時を過ぎた頃だった。

フェリーではキャビンを取ろうと思っていたのに予想外に高く(50ユーロ!)、ベッドに寝ることをあきらめた私は床に横になって仮眠を取ったのだが、ここ数日間の過酷な移動による疲れは相変わらずたまっていた。服もきっとダニだらけ(女の子の話とは思えませんが(-_-)だし、衣類を落ち着いて洗濯するため、どこか寛げるホテルでゆっくりしたかった。精神的にも肉体的にも、今の私には休養が必要だ。

大きなバックパックを抱え下船すると、そこにはたくさんのタクシーが客待ちをしていた。

もうへとへとだし、体力も限界なのでタクシーに乗っちゃおうと、駅までの代金を運転手に聞いてみると15ユーロ。今までの一泊分かい〜!!そんなお金出せないわと、やっぱり自力で駅へ向かおうとするが、そもそもこの港がどの港なのかが分からない。そこで向こうから来たイタリア人に聞いてみると、ここは旧港だと教えてくれた。その彼が、「ここがバス停だから待っていればバスが来るよ。あ、でも、僕が乗せていってあげよう」と申し出てくれた。またまた救われた。実際、港から駅まではとても歩けそうな距離ではなかったので助かった。

バックパックを担いでホテル探しをするとロクなことにならないことを悟った私は、荷物を駅に預けて駅周辺を歩き回った。何件か見てみるが、結構高くて見た目がオンボロなホテルか、とても予算外のホテルか、どちらかしかない。諦めかけていると、駅のすぐ側にとてもステキな、こぢんまりとしたホテルを見つけた。聞くと一泊50ユーロ。ロドスの宿泊費の5倍だが、あんまり雰囲気がいいので、ここに決めた。昨日は床に寝たんだし(^^;、たまにはゼイタクしよう!!

部屋はとてもステキだった。デスクもあって申し分ない。旅を始めて、初めて電話回線のついている部屋だった。うまくいくかしらと、さっそくマシンをつなげると、すんなりと成功!!非常に遅いが、通信できる。

メテオラ以来、リアルタイム日記の原稿を書く気力が無くさぼっていたので、この日はまるまる原稿を書くことに専念した。服もジーパンとTシャツからスカートと白いシャツに替え、久しぶりに口紅も塗ってみた。泥だらけだった昨日とは大違いだ。お気に入りのミュールに履き替えて、ホテル内にあるレストランへ昼食を取りに出かけた。

ホテルのレストランで食べたイタリア料理は、涙が出るほどおいしかった。

前菜もパスタも、ホントに絶品。ホテルのレストランだしと、あまり期待していなかったのだが、これがおいしい!!とくに前菜、ズッキーニのオリーブオイルとニンニクとの和え物や、天ぷらのようなもの、キノコのソテー、キッシュ。あまりにギリシアとは違う!!船でたった9時間、アドリア海を越えただけなのに・・・。本当に不思議だ。

久々の「ちゃんとした食事」を満喫した私は、リアルタイム旅日記の原稿を書くべく部屋に戻った。
部屋で原稿をアップ出来るのは何とも贅沢だし、机のある部屋で、ちゃんとイスに座って原稿が書けるというのも嬉しいことだ。シャワーからは久々に熱いお湯が出るし。その夜は嬉々として原稿を書き続け、二回も熱いお湯を浴びたのだった。

翌日はバーリの駅の裏から出ている8:30のバスに乗って、アルベロベッロへと向かった。

そういえば昨日はホテルから一歩も外に出なかったので、イタリアのバス事情を知らずしてバスに乗ってしまったのだが、実は売店などでチケットを買わなければ乗車を断られることもあるのだ。運転手に「え、そんなのここで買えないの?」と聞いてみるが英語は全く通じない。困ったなぁと思っていると、一人の日本人の男性が助けてくれた。バスで彼と奥さん、そして彼らとは別に親子で旅行しているという二組の日本人に乗り合わせたのだ。偶然バス停で出会った彼、Toharaさんはデザイナーで、ミラノに一ヶ月ほど滞在するのだという。

私たち5人は道中おしゃべりをしながらアルベロベッロへ至る道のりを楽しんだ。

1996年に世界遺産に登録されたアルベロベッロは、イタリア南部観光の最大の目玉と言ってもいい。その独特なかわいらしい家々(トゥルッリ)に、多くの人は旅情をそそられることだろう。

トゥルッリは真っ白な壁に、円錐形のグレーの屋根を持つ独特な建築物だ。一見おとぎの国の、妖精でも住んでいそうな夢のある家に見えるが、実はその昔、封建制度がとても厳しかった時代に貧しい人々が唯一許された建築方法だったという。家は冬も夏も常に気温が一定になるように工夫され、貴重な水を得るため、トゥルッリの屋根を伝って地下にある井戸に雨水が貯められるようになっている。今はメインストリートに面したほとんどがカフェやレストラン、お土産屋さんとして機能しているので、観光客は気軽に中を見学できるようになっている。

Toharaさんたちはそのトゥルッリで出来たホテルに宿泊するのだという。
トゥルッリで宿泊!これは中を取材させてもらうしかない。「実は取材旅行なんです〜」と打ち明け、一緒にホテルまで行くことになった。その話を親子の二人に話すと、彼らもそこに宿泊したいのだという。結局5人でバスを降り、仲良くそのホテルへと向かった。
取材は非常にスムーズにすすんだ。ホテルのイメージが入ったCDなども渡してくれて、上々だ。親子二人も無事予約が取れたのを確認し、そこで4人と別れ再び一人で街を歩き出した。

旧市街の目玉である、サンタントニオ教会(トゥルッリ建築の教会)の手前にある、5軒が連なった見事なトゥルッリが目に入った。かわいらしいシンボルが屋根に描かれ、キレイに手入れがされている。中を覗くと、美しい織物のお店だった。

一見、ただのお土産屋さんだが、実は奥に特別なコーナーがある。他のお土産屋さんには置いていない、麻の上等の織物のコーナーだ。このアルベロベッロは、岐阜県の白川郷と姉妹都市の関係にあり、このお店のオーナーであるマリアは、その関係のイベントで今年1月に来日している。日本でテレビや雑誌でも取り上げられたという見事な織物は、ちょうど今、日本橋の三越で特別コーナーが設けられて販売されているのだそうだ。

そのマリアの見事な織物を見ていると、日本人女性に声をかけられた。レッチェでガイドをしているミキコさんだ。その麻布に織り込まれた色鮮やかな繊維は、ミモザやオリーブ、椿にプルーン、藤の花にバジリコなど、自然のもので染色されており、それぞれ模様にも意味がある、と教えてくれた。昔、この辺りの女性は、女の子が産まれると、結婚するまでに少しずつ、こうしたリネンを用意したのだそう。決して安いモノではないが、テーブルクロスで織り上がるまで2週間かかる、手の込んだものなのだ。

取材で来ている、良いホテルがあれば教えて欲しいと申し出ると、いくつか紹介してくれた。旧市街を歩き回って、トゥルッリに泊まれるようなホテルを探そうと思っていたのでありがたかった。ステキなホテルを3軒取材できたので、トゥルッリに泊まってみたいという方、お楽しみに!その他にもマッセリアと呼ばれる、封建制度時代の君主の家を改築した宿泊施設や、アルベロベッロに住む人々の持っている部屋を民宿として貸し出し、ホテルよりも安く泊まれる宿泊施設もあり、そんなアレンジも今後やっていきたいねと話す。うーん、あれこれと夢が膨らむなぁ!!他の旅行社ではまだやってない、ステキなアレンジが可能かも知れない!!

とアレコレ話しながら、ミキコさんにマリアの住居スペースも見せて貰った。ちょうどお昼前でいい匂い。コーヒーをごちそうになって取材をすすめていると、マリアがやってきてお昼も食べて行けと言ってくれた。ずうずうしいが、このチャンスを逃す手はない。さらにうちに一泊して行きなさいと言ってくれもした。ありがたかったし、そうしようかなとも思ったが、明日の夜行列車のチケットの購入や、仕事のことも考えるとそうはできなかった。

そうこうしているうちに、東京から石造りの建築物に関する取材に来ている、取材チームがやってきた。ミキコさん、実はこのチームの通訳をしていたのだ。私も(ずうずうしく)その取材に同行させて貰い、トゥルッリの構造について詳しく話を聞かせて貰った。

説明くださったのは自身もトゥルッリで生まれ、トゥルッリの研究で大学で客員教授をやってらっしゃる方だった。
トゥルッリ職人は「トゥルッラーロ」と呼ばれ、マエストロと弟子で300年に一度修復するのだという。
その間は年に一度壁を塗りなおしたり、中の石灰を塗りなおしたり(これはこれで別の職人が存在する)。
こうしてあの外見の美しさを保つのだ。

石灰を塗りなおすのには外見の美しさだけではなく、消毒の意味もかねるのだという。昔はペストや他の感染症を恐れ塗りなおした。ちなみに、世界遺産にも登録された今、アルベロベッロの旧市街に新しいトゥルッリを作ることは禁じられている。

プーリア州は石灰が有名で、特にこのあたりは水が少ないのだという。
だからトゥルッリには雨水を効率よくためる方法や、気温を一定に保つための工夫がされている。
昔この辺りは男性が女性の家に婿入りしたため、そのたびにトゥルッリを増築したのだそうだ。
だからトゥルッリが多い家は娘が多いことを意味する。

トゥルッリは外見はかわいらしくおとぎの国の建物のようだが、実は貧しいものたちに唯一許された建築方法だった。
封建社会の象徴、貧しさの象徴でもあったトゥルッリ。
今は観光客が大勢おしかける、一大観光地となっている。

マンマ・マリアのトゥルッリに戻ると、お昼の支度が出来ていた。うーん、いい匂い!アンティチョークとポテト、アスパラを卵とパルメジャーノチーズでとじ、オーブンで焼いたモノだ。これが本当においしい。お店のゴハンもおいしいが、手作りのマンマの味は格別だ。さらに貴重であろう、生ハムを惜しげもなくふるまってくれた。お客にしかださないという赤と白のワインも開け、取材チームにミキコさん、マンマと共に盛り上がる。私なんてお店にいただけの、通りすがりの日本人にすぎないのに、彼女は本当にステキなランチタイムを提供してくれた。デザートには甘いメロンとスイカ、もちろんコーヒーも。

暖炉がぱちぱちという、すばらしいトゥルッリの中で頂いたマンマのゴハンと、今日偶然出会った人々に感謝せずにはいられない。

アルベロベッロからバーリへ戻り、明日の寝台列車の手配をするため、ユーレイルパスを握り締めて駅へと向かう。
ところが夜中出発早朝着なのに、寝台はないのだという。またフェリーのような目に合うのだろうか・・・。
でも無いのだから仕方が無い。そのチケットを予約した。


翌日はホテルをチェックアウトし荷物を預けてから、マテーラへと向かった。

のどかで豊かな南イタリアとは対照的なマテーラのサッシ地区は世界遺産に登録されている洞窟住居群だ。
マテーラまでは私鉄の列車で1時間半ほど。車窓からはオリーブ畑が広がる風景が見える。

マテーラで下車し、その分かりにくい駅から洞窟住居群のあるサッシ地区を目指し歩いた。
行けども行けどもサッシ地区が見えてこない。地図によるとこの辺りなのに・・・。
あたりを見回すと、地下に向かうような階段があり、そこが入口となっているようだった。

ひんやりとしたトンネルをくぐり、サッシ地区へと出た。
そこはもう、別世界だった。まるで別の惑星の、乾いた谷に作られた住居のようだ。町をあちこちと散策したが、人に出会うことはほとんどなかった。一人でこの町をさまよっていると、ここが明るい南イタリアであることを忘れてしまう。誰もいない、静かに永い眠りについているような町・マテーラ。この谷を一歩でも出ると、いつもの美しい南イタリアの町並みが広がっているのだから、不思議なカンジだ。

迷路のようなこのサッシ地区で、一番有名なのがサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会。さすがにこの周りには観光客がたくさんきていて、「あぁ、ここは世界遺産だったな」と思い出した。

ここにもサッシのホテルがいくつかあったので、中を見学させてもらった。
その素朴な外見からは分からないほど、中は快適そうだった。

夕食は再びホテルのレストランで取った。探すのが面倒だったし、ホテルで荷物をピックアップせねばならないからだ。
高くつくけど列車の発車時刻までここで原稿でも書いていればいい。フロント前の横には居心地のいいロビーとバーカウンターがあって、22:00まで時間をつぶすにはぴったりだった。

明日からシチリアか。またどんな旅が待っているのだろう。
期待と共に、この居心地のよさから離れたくなくてちょっと億劫になる。

列車が22:04発なので、駅の側とはいえ始発列車だしと、21:30にはホテルを出た。
予約していた席は6人がけのコンパートメントになっており、利用者は私をはさんでおじさんと女の子の3人だった。

出発してしばらく経ち、そろそろ寝ようかなと耳栓とアイマスクを取り出すと、女の子が「イスを引き出せばベットみたいになるのよ」と教えてくれた。これは便利!6人がけで3人の使用なので、それぞれ向かい側の席を引き出すと平らになり、そこに横になって寝られるようになっているのだ!確かにこれなら寝台はいらない。身体の大きな人は大変かもしれないが、私は小さいので余裕で横になることが出来た。

もっと寝にくいかなと思っていたが、思いのほか快適で、5:30には同室者がおき始めた。
5:55、シチリアへ渡る船の玄関口、レッジョ・カラーブリアへ到着した。


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