4日目 敦煌 莫高窟 鳴沙山・月牙泉

朝食もそこそこに、タクシーで莫高窟へと向かった。空気は秋空のように澄み渡り、天高い。莫高窟は見渡す限りの大砂漠を車で20分くらい行ったところにある。街からかなり離れた鳴沙山の東の断崖に、その遺跡は人目から逃れるようにひっそりと、でも人を圧倒するように存在していた。

井上靖の「敦煌」で、主人公行徳が最後に行き着くのがこの莫高窟だ。学僧たちがその半生をかけて作成し、命がけで隠したであろう膨大な経典・書画も、20世紀初頭にイギリスの地理学者スタインを初めとする諸外国の探検隊によって奪われるように国外へ持ち出されてしまった。現在は非常に厳重に管理され、公開されているほとんどの石窟に鍵がかかり、ガイドなしでは見学が出来ない仕組みになっている。

 

莫高窟

中国が世界に誇る石窟で世界文化遺産。鳴沙山の崖に彫られた石窟は492窟、1.6Kmにも及ぶ。
各国語を話すガイドが接待所におり、基本的にそのガイドに従って歩くことになる。ほとんどの石窟は鍵がかかっており、ガイドなしでは見学できない仕組み。かなり暗いので、ライトがあると良い。
この砂漠の狭間に莫高窟がある。写真では見えにくいけど、左から右へ、石窟が小さく見える。
これが莫高窟を代表する96窟、北大仏殿、九層楼の外観。中には大きな仏様が。
石窟内は写真禁止。これは外から石窟の外部に書かれた天女を写したモノ。


料金を払い、荷物を預けて接待処へ行くと、ちょうどこれから日本人ガイドによるツアーが始まるのだという。19人のグループと一組のカップルがまさに今、ツアーに出ようとしているところだった。昨日から行動を共にしているイランナ、ウェンディーの参加する英語のツアーももう少ししたら出るという。ツアーが終わったらまた会って街へ戻ろうということになり、しばし2人とはお別れ。

ツアーは10窟ほどを2時間くらいで回る。他に特別窟といって別料金で見ることの出来る石窟などがあり、希望者は午後そちらへ行くということだった。この時期は観光客が少なく、動いているツアーは私たち日本人グループと、イランナたちが参加している英語ツアーのみ。他のグループが私たちが行かなかった窟を回っていたらそこも見ようと思っていたのだが、たった2グループではそうも出来ず、大人しく案内された石窟で説明を受けた。

石窟は4世紀半ば頃から1000年間にも渡り開削されたという。一番古い時代は北魏や北周まで遡り、新しいものは西夏や元の時代に作られた。時代と共に仏様の顔や衣装が異なり、変化していく様子が分かる。石窟内はとても暗く、ガイドのライトしかないので、じっくりと見たければそれぞれが懐中電灯を持ち込んだ方がいいだろう。入口で貸し出しもしている。

一通り案内されて、日本人グループから離れた。延々と続くかと思われる石窟の前を一人歩くと、タイムスリップしたような感覚に陥る。どんな想いを込めてこの人里離れた乾燥した地で石窟を開削したというのだろう。乾燥した空気。見渡す限りの大砂漠。全く本当に私たちの世界とは別世界だ。ついに長年のアコガレの地、莫高窟に来たのだ!あたりをぐるりと見回して、私はそう叫びたくなった。


断崖に沿って1.6kmにも渡って開削されている。
石窟は2層、3層となって掘られており、その数は1000にも上るとか。現在確認されているのは492窟。
莫高窟のメイン、96窟北大仏殿の外装。色鮮やかな壁画が残っている。
年始にはこの北大仏殿が一般開放され、地元の人がお参りにおしかけるのだという。
今にも崩れそうな、木造の小屋。中にはすばらしい壁画が残っているのか!?公開されていない石窟が大半なのだ。 結局3日間一緒だったアメリカ人のウェンディーとロシア人のイランナ。中国語ペラペラで大助かり。

敦煌市内から莫高窟への行き方
市内から莫高窟までのタクシーの料金は3人で利用して1人10元。鳴沙山・月牙泉とのセットになった一日ツアーも市内のあちこちから出ている。莫高窟の入場料は120元で、日本人ガイドがいる。


石窟から少し離れたところに博物館があり、そこも見学してから駐車場へと向かう。土産物屋で写真集を見ているところへイランナたちが現れ、再びタクシーに乗って敦煌の街へと戻った。昼食は宿のすぐ側にある小さなお店で取った。カフェ、と名の付くそのお店はロンプラに乗っているのか、外国人が多い。西洋人にとって毎日中華料理は苦痛なのだろう。私でさえ、3日も食べていたら飽きてしまうのだから・・・。このお店では中華以外にもコーヒーやトースト、ホットケーキやサラダといった軽食も食べさせてくれているのだった。麻婆豆腐と同じ値段のホットケーキはどちらかというとクレープと呼ぶにふさわしいペチャンコ具合だったが、イランナは満足しているようだ。韓国人とアメリカ人のハーフであるウェンディーはカレーライスを、私はチャーハンを注文した。

昼食後は昼寝をしに部屋へ戻った。2時間ほど睡眠をとってからシャワーを浴び、私はインターネットカフェと旅行社へ、2人はお腹が空いたからまた先ほどのカフェに行くといって出かけた。昨晩宿泊場所のすぐ脇にある旅行社に明日の夜行のチケットをお願いしており、そのチケットを引き取りに行ったのだ。敦煌発23:37、蘭州着14:00。寝台列車は非常に人気が高くなかなかチケットを取るのができないので心配していたのだが、無事手にしてほっとする。

私たちが泊まっていた飛天飯店のある通りには旅行社が多いので、明日参加出来るようなツアーが無いかを探しながら散歩した。漢代の万里の長城が残るという玉門関や、三蔵法師も通ったという陽関へ行きたいと思っていたのだが、公共手段がないため、ツアーに参加するしかない。しかし、そんなツアーはどこも主催していないのだった。ある旅行社で日本語を少し話すおじさんに相談してみると、「一人だと車をチャーターするのにお金がかなりかかるけど、何人か集まったらやってもいい。募集しておくから、夜20:00くらいにでもまたおいで」と言ってくれた。

部屋に戻ると、ウェンディーたちが浮き足立ちながら話をしていた。「さっき会った男の子から聞いたんだけどね、予定を変更してカシュガルまで行こうと思うの!」という。彼女たちは明日の朝バスでハミまで行き、そこからトルファン・ウルムチを訪れて北京に戻る予定を立てていたのだ。「まおも行こうよ、すごい市場があるんだって!」という。カシュガル!!なんとステキな響きだろう。イスラム色がますます濃厚な、北部にキルギス、西にタジキスタン、アフガニスタン、南西をパキスタンに囲まれたシルクロード交易の中心部だ。別にここから先の予定が決まっているわけでもないし、一緒に行っちゃおうかな、と思ったが、どう考えても日数的に難しい。「次回のコースとして残しておくよ」と辞退した。3人旅なら安上がりだし、非常に魅力的だったのだけど。

夢中になっている二人を「ほらほら、夕日が落ちちゃうわよ」とせかして、私たちは鳴沙山に向かった。まさに砂漠!というカンジの砂の山である。砂山に広がる風紋がなんとも美しい。入口にはラクダが待機していて、もちろん有料だが希望者を乗せてくれる。ざくざくと砂地を歩き山を登ろうとするが、深く足が捕らわれてしまいとても歩けない。それでも沙山の上に延びる階段を目指して歩いたのだが、その階段が有料だという!「これはわしが作った階段じゃ!金を払え!」というシステムなのだ。帰りはそりで滑って10元。ここまで来てしまったらノーチョイス、仕方なくお金を払い、黙々とその階段を上った。残念なことに雲が多くて落日を見ることは出来なかったが、昼と夜の狭間は得も言えぬ美しさ。砂が全ての物音を奪ってしまうのだろうか、観光客がパラパラといるのにも関わらず辺りは深閑としている。砂が裸足にひんやりとして気持ちがいい。ラクダに揺られて大勢の旅人がこの地を目指したことだろう、と遠い昔に想いを馳せた。

帰路はバスを待ったがいくら待っても来ないので、あきらめてタクシーに乗ることにした。中国人のオンナノコたち4人と相乗りだ。お金を払おうとすると自分たちが払うからいいのだ、という。そんなわけにはいかない、と払おうとしたが払わせてくれない。私は今回の旅で、たびたびこんな中国の人々の暖かさに触れた。

街へ戻って旅行社に行くと「ちょうどさっきイギリス人の夫婦が来たよ。明日8:30においで」と言われる。やった!諦めかけていたゴビ砂漠の向こうへ行けるのだ。明日の予定が決まったわ、と二人に話しながら夕食を取っていると、先ほど二人がカシュガルの話を聞いたというドイツ人のクレイグがやってきた。4人でしばらくおしゃべりをして宿に戻り、ぐっすりと眠った。


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