ケープタウン入港 − 南アフリカ 2002年1月27日〜1月29日−


 ケープタウンはアフリカの南端にある国・南アフリカの最南端に位置する。ケープタウンは世界一美しい岬とも称され、世界有数の港の1つだ。ケープタウンに入港すると、まず私達を迎えてくれるのはケープタウンの街の後ろにそびえ立つ、海抜1067kmの美しいテーブルマウンテンだ。真っ青に澄んだ空に切り立ったテーブルマウンテン、そこには真っ白な雲がうっすらとかかり、少しずつ雲が麓に流れている様子が見て取れる。この雲はテーブルクロスと呼ばれており、まさに巨大なテーブルにかかっているレースのクロスのようだ。そのテーブルマウンテンの頂上から見渡すと、麓には整然とした街並みが、はるか向こうには喜望峰が見えるという。そんな美しいケープタウンは、数年前まではアパルトヘイトによって白人と黒人は明確に分けられていた。アパルトヘイトが撤廃されたとはいえ、現在でも黒人居住区があり、貧富の差が非常に激しいという現実を南アフリカは抱えている。
 

 着岸したのはウォーターフロントのJETTY2バース。買い物天国のウォーターフロント(巨大でオシャレなショッピングセンター)の目の前で、最高のバースだ。何と潮の関係で、前日の9:00に着岸してしまった。もともとは28日の朝8:00だったのだから、お客様的には一日も得したことになる。実質3日の滞在になったので、ゆったりとした時間を過ごすことができたことだろう。私にとっては大忙しの三日間となってしまったが。

 イミグレはたった一人、着岸後に乗船してきた。下船者のパスポートのみ入国手続きを行い、そのまま船で出国する人々のパスポートは見もしなかったので、入国審査自体はすぐに終わった。朝食を終えた陽気な入管は、もう一隻向かいのバースに泊まっていた客船の手続きをしに行ってしまった。



 実はこの南アフリカで私には重要な使命があった。次の港がブラジルのリオ・デ・ジャネイロなのだが、ブラジルに入国するにはビザを取得せねばならない。必要のない国籍といえばイギリス・フランス・ペルー・スペインなど。だから本船の乗船者のほとんどがビザを必要とする。ところがこのクルーズ、9月11日の米国テロ事件によってキャンセル者が相次ぎ、ぎりぎりまで販売していたので、何人かのビザの取得に間に合わないままクルーズが始まってしまった。ビザがなければ入国できないので、ここ南アフリカのブラジル領事館で取得する、という手筈になっていたのだ。その数、80人!入港中に80人分の申請書とパスポートを持って領事館へ行き、発行してもらわねばならない。それが私の南アでの使命だった。



 初日は日曜日、領事館も閉まっているので何もできない。入国審査が終了すると、ウォーターフロントへと出かけた。ウォーターフロントは目の前だ。ここはどこ?と言いたくなってしまうほどの近代的な設備。ここがバンクーバでも不思議はないといえるくらい、全くアフリカ的ではなかった。私もアフリカは何カ国も訪れているが、ここまでヨーロピアンナイズされている港は初めてだ。外にはヨットハーバーが、その向こうにテーブルマウンテンが見えるおしゃれなオープンカフェが、観光客でにぎわっている。ウォーターフロントの中はブランド物のお店、スーパー、お土産屋さん、レストランがぎっしりで、まるでお台場のよう。しかもかなり物価が安い。ケニアの岸壁の出店で買う安っぽい木彫りのキリンなどよりも、ずっと立派で安いのだ。たくさんお店があるので、見てまわるには一日必要だろう。その他、水族館なども付随しているようだった。一日おまけが出来たので、ツアーに入っていたお客さんも今日は一日、ここでのんびりお買い物できるはずだ。

 ぐるっと大体見てまわってからお茶を飲んで休憩。ケーキやコーヒーなどもおいしい。おいしそうなサンドイッチやシーフード、中華料理のレストランなどもある。お昼過ぎまで本船を出られなかったので、食事を船内で済ませてしまったことを悔やんだ。外で食べることを最大の楽しみにしているのに、つい船内で簡単に済ませてしまうことが多い。寄港地によっては、食事をするようなところが岸壁付近になく、港のゲートまでも遠くて移動が不便、というところも少なくない。それで船内のレストランで済ませてしまうことになるのだが、ここは近い上に安く、おいしいのだった。



 夕方、他のスタッフたちと、近くの日本人が経営するという日本食レストランに行くことにした。そこはもともと日本から遠洋漁業で来ている漁師さん達のためのもので、こうしてはるばる日本から船が来れば、お店を開けるのだという。お店は3階建てで、お店の前の鉄格子が、本当はケープタウンはとても物騒な所のだと感じさせる。お金持ちしか来そうにないウォーターフロントを除き、ケープタウンの街は17:00以降、ゴーストタウンと化す。ウォーターフロント内はお台場でも、外は非常に治安が悪い。夜の一人歩きは厳禁だった。そのお店「漁り火」は、一階が寿司カウンター、二階は居酒屋、三階はなんと銭湯があるという、不思議なところ。しかし、やっぱりありがたい。50日以上シャワーのみでお風呂には入っていないし、寿司など滅多にお目にかかれない。全員上機嫌で寿司をお腹いっぱい頂き、お風呂にも入った。お客さんの目から逃れるということが、どれほどの開放感か!何しろプライベートで買い物をしていようが、道を歩いていようが「値段を交渉してくれ」「ここへの行き方を教えてくれ」とくるのだから。気の許せる仲間達だけで過ごす夜は、今までの疲れも吹っ飛んでしまうほどの楽しい時間となった。

 翌日は朝早くからブラジル領事館へと向かった。80通のパスポートを腕に抱え、エージェントの車で移動する。全てのパスポートと書類を提出した後で、お金は今欲しいという。事前の打ち合わせでは、ビザを発行した後でお金を払うことになっていたので、一度帰船してお金を用意し、再び戻って来る旨を伝え、領事館を後にした。お金を両替するのに時間がかかってしまい、二度目に訪れたときはすでに大使館は昼休み。再度夕方に訪れ、全額を支払う。二日目はテーブルマウンテン(港からたったの15分!)くらいは行けるかな、などと思っていたが、細々としたことで時間を取られてしまった。その日の夕食はウォーターフロントの中華料理レストランで、スープやチャーハンを、夜景を見ながらいただいた。



 三日目は、朝早くスタッフ3人で空港へ向かう。ケープタウンから新規乗船する合流者50名を迎えるためだった。私のここでの使命は全員のパスポートを回収すること。乗客が観光に出ている間、一足早く船にて出国審査を行うためだ。他の二人はこのまま50人を市内観光と喜望峰の観光に連れて行く添乗員だった。全員の到着を確認して、合流者50人と添乗員2名が乗ったバス二台を見送ってから、50通のパスポートを持ってタクシーに乗り、本船へと戻った。

ケープタウンの象徴・テーブルマウンテン

 その後少し時間があったので、ウォーターフロントで食料・綿棒などの雑貨を仕入れ、お土産も購入する。少し遅めの昼食は、10人くらいでシーフードに舌鼓。生ガキのおいしいこと!たらふく食べて飲んで一人15$くらい。安い!一皿のボリュームに絶句しつつ、それでも平らげてしまったのだから、私達もすごい。その後、再び着替えて大使館に向かった。なんだかんだと、三日間で5回もこの場所に来たことになる。パスポートたちにはきちんとビザが押されており、全員分取得できたことを確認し、ほっと胸をなでおろした。

 本船に戻り、出国手続きの準備に入る。ここからの新規乗船者が60名(二日目に別便ですでに10人が合流していた)、それにタンザニアのツアーに出ており再び合流してきた乗客を併せると、97名もの乗船者がいる。97名分のパスポートにきちんと出国カードが挟まっているか、イエローカードはあるか、などを確認し、名簿順に並び替え、パスポートにカバーをかける。これらをきちんとやっておかないと、出国手続きはスムーズにいかないのだ。17:00、出国手続きの為に官憲が乗船。特に問題もなく終了。官憲・エージェント・ゲストが下船し、船は出港体制に入る。

 岸壁にはここで下船する人の姿がたくさんあり、色とりどりの紙テープが風に舞っていた。19:00といえどまだ外は明るく、デッキにはたくさんの人々が別れを惜しんでいた。出港。船はテーブルマウンテンを背にして、別れの声や出港の曲やらでにぎやかに湾を出ていく。その喧噪から離れるように、反対側のデッキへと移動する。右舷につけていたタグボートと結んでいるもやいが外れた。タグボートが離れていく瞬間が一番、好きだ。ああ無事出港したのだ、という安堵感と、ここからは私達だけで航海して行くのだ、とちょっぴり誇りを持ちたくなる瞬間だから。

2002年1月29日、私達はケープタウンを後にし、大西洋へと突入した。

モドル

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